2010-06-01から1ヶ月間の記事一覧

島津家今和泉本邸跡近くの大龍寺

戦国時代、田布施(鹿児島県金峰町)にいた、島津家15代貴久は跡目争いで、薩州島津家実久を敗り、この場所に内城を築き、移り住みました。 以来、50年、内城は島津氏の本城として、城下町の中心でしたが、18代家久の時、鶴丸城が築かれ廃城となりまし…

西郷従道邸庭園跡庭石について

西郷従道は西郷隆盛の弟として、天保14年(1843年)に生まれました。 戊辰戦争に参加し、明治維新後は陸軍をつくることに力を尽くし、のち、海軍に移り、海軍大臣・内務大臣を務めました。明治35年(1902年)に60歳で亡くなっています。やはり…

薩摩藩の軍艦には、マストに日の丸・船尾に十文字

−−−−日本最初の軍艦は薩摩で誕生しました。−−−−− 斉彬公が、磯の集成館一帯に築いた様々な近代化事業のひとつに造船所がありました。南北100m幅20m深さ3m掘り下げて東側から海水を入れる、という構造をもった造船所がこの場所(磯・集成館の前方・…

城ヶ崎の板碑(町指定文化財)

板碑とは、鎌倉時代、関東を中心に流行した供養塔の一種です。当時、新興宗教の浄土教の布教と共に地方へ広がったといわれています。 城ヶ崎の板碑は、通称「イボン神様」といわれています。形は四面注状で、石材は山川石が使われています。碑文には、「道永…

島津家ゆかりの諏訪神社 日置市(伊集院)

通称ザビエル街道を鹿児島から、伊集院まで走ってきました。有馬新七の墓所の近くに、島津氏ゆかりの神社を見つけました。 室町時代の後期、島津忠国(9代)の代に、信州・諏訪の神宮、中島少輔という人が、神体を奉守し、以前、諏訪の地頭で、諏訪神社を崇…

名山塔(祢寝清平・ねじめきよひら)・供養塔

鹿児島県の大隈半島に、根占(ねじめ)という地名があります。その名前の元になったのは、読みが同じの祢寝氏です。平安時代末から大隅半島南部を治めていた豪族で、足利氏方につき、室町時代には大隅・日向を治める島津奥州家に従って勢力を伸ばしていまし…

鹿児島市内を走る路面電車は、鹿児島市交通局の運営によるものです。 交通局は市営バスも運行していますが、毎年赤字なのが実像です。 そこで少しでも赤字を減らそうと、電車、バス共車内広告はもちろん、スポンサーが付けば、外観も変えて走る広告塔になっ…

琉球人松・142年の歴史

鹿児島市の集成館の近くに、夏場は海水浴場になる磯浜があります。近くに昔は、石燈籠に抱きつくように見事な枝を張った大松がありました。琉球からの船が入港する時に、目印にした松ということから「琉球人松」と呼ばれていました。松の上の丘は、桜の名所…

薩英戦争開戦の号砲跡(天保山公園)

「撃てー」天保山の砲台隊長・鎌田市兵衛の合図で号砲が響き、錦江湾を震わせました。ついにイギリス艦隊との戦いが開始されました。 1863年(文久3年)7月2日(太陽暦8月15日)正午に始まった砲撃戦は、薩摩の必死の戦いでイギリス側にも大きな損…

地元の人しか知らない史跡、南泉院跡。

鹿児島の人も、花尾神社は行った事があっても、南泉院までは、ほとんど行った事が無いと思います。隠れ念仏洞から、行く事30分、上へ上へ、山道(昔の古道のようです)を登っていきました。途中、鹿児島市が眼下に見える山の上で、山水が途中、出ており、…

知覧城跡

鎌倉時代の初め、源頼朝の命によってできた建久8年(1197年)薩摩国図田帳(土地台帳)によると、知覧院とよばれ、薩摩平氏の一族である、平忠益が郡司として治めており、地頭には島津氏初代・忠久が臨んでいました。その後、郡司・地頭の職務はそれぞ…

清水の磨崖仏群。

今は南九州市の一部になりましたが、旧川辺(かわなべ)町の清水という場所に、「清水の磨崖仏」と呼ばれる史跡があります。川沿いの道を歩くと、左手の岩肌に仏や梵字、五輪等などが400〜500Mにわたって刻まれています。彫られた年代も平安時代から江戸時代…

南州翁の最後「命もいらず名もいらず」

−信義を貫いた巨星と群れ星ここに眠る− 1877年(明治10年)9月24日、城山で西郷隆盛が自刃して、ついに7ヶ月にわたった西南戦争が終わりました。熊本城の攻防、田原坂の激戦に破れた薩摩は多くの死傷者をだしながら、九州を南下して、故郷の城山を…

史跡、隼人塚について。

国道10号線を鹿児島市内から国分方面へ、国分市街地の少し手前から左に入って、隼人駅のすぐ側に国定史跡「隼人塚」があります。 「古事記」「日本書記」「国土記」などに記載されている古代南州反乱のとき、殺された熊襲・隼人の霊が崇をなしたので、それを…

龍馬ゆかりの地・塩浸し温泉

坂本龍馬とおりょうさんが、霧島の旅の中で、一番長く滞在したのがここ塩浸し温泉です。合計18日間滞在し、高千穂の峰に登ったり、付近を散策したりして過ごしました。二人にとっては人生最良の日々だったのでしょう。西郷らに勧められてこの温泉を選んだ…

精忠組を鍛えた座禅石

鹿児島市の城山団地にある座禅石。西郷、大久保らが青春時代に精神の鍛錬の為に、度々訪れた場所です。 後に明治維新の中心的役割を果たす彼らを暖かく見守り、多大な影響を与えた人物がいました。鹿児島市草牟田誓光寺の住職・円了無参和尚(えんりょうむさ…

鹿児島市で道を尋ねたら。

鹿児島市民は天文館周辺の場所を説明する際に、御着屋(おつきや)と地蔵角(じぞうかど)にある2ヵ所の交番を交えて説明します。「地蔵角の交番を右にまがって・・・・」とか「御着屋の交番を電車通りのほうへ・・・・」という具合に。二つの交番はいずれも…

曽我どんの傘焼き。

鹿児島の伝統行事に、曽我どんの傘焼きというものがあります。 甲突川に架かる高見橋から見下ろせる砂州で、クリスマスツリーの様にやぐらを組み、何百本の和傘を飾りつけ、最後にそれに火を付けて盛大に燃やすという行事です。フィナーレの点火までには、示…

待ち合わせの場所は?

皆さんが住んでおられる町にも、何人かで酒を飲みに(鹿児島弁ではのんかたといいます)行こうとなったときに、友人達と待ち合わせる定番の場所があると思います。 酒場街に近くて、誰でも知っている場所。鹿児島市では私が20歳の頃以前から、タカプラ前がポ…

海軍カレーとは?

ツイッターでもつぶやいたネタですが。5月30日に東郷平八郎元帥の慰霊式典が鹿児島市の多賀山公園で行われました。彼もまた、加治屋町の生まれで西郷、大久保らの後輩に当たり薩摩藩士として戊辰戦争にも参戦しています。 日本帝国連合艦隊司令官として、当…