島津家ゆかりの諏訪神社 日置市(伊集院)

通称ザビエル街道を鹿児島から、伊集院まで走ってきました。有馬新七墓所の近くに、島津氏ゆかりの神社を見つけました。
室町時代の後期、島津忠国(9代)の代に、信州・諏訪の神宮、中島少輔という人が、神体を奉守し、以前、諏訪の地頭で、諏訪神社を崇敬していた島津の藩主をしたって、薩摩に下りました。
忠国は一宇治城の真向かいのこの地に、諏訪神社を建立しました。当時は60余町の田地が寄進され、その後は、近隣の数か町村が氏子として、祭礼を奉仕していました。
15代・島津貴久が加世田から一宇治城に拠った時、小田原駿河守を招致し、中島家断絶後は小田原氏が宮司を務めました。
明治5年には、村社・南方神社として、そして昭和10年には町社として運営され、戦後は数名の役員により維持されてきました。平成になり、下谷口一円の崇敬者の浄財によって、改築・修繕・整地がなされ、現在の神社が維持されています。