2010-04-01から1ヶ月間の記事一覧

今でも西郷どんは郷土の誇りです。

最近、地元の大きな書店に行くと郷土本のコーナーの充実ぶりに驚かされます。篤姫、龍馬伝と人気ドラマが続き、その影響もあるのでしょう。そのなかでもやはり西郷さんを題材にした本が一番多いですね。 鹿児島の人間にとっては今でも最大のヒーローで、誇り…

ハイテク西郷どん?

鹿児島に観光旅行に来られる方々に、ぜひ寄ってもらいたい所の一つに「維新ふるさと館」があります。加治屋町の一角に建てられた建物で、明治維新に関する展示が充実しています。ここの呼び物は、館内のシアターで上映される映像とロボットによる歴史劇です…

日本の夜明けは薩摩から始まった。

県外から新幹線や列車で鹿児島に来られる皆様が最初に降り立つ、鹿児島中央駅の写真です。隣のアミュプラザという商業施設ビルの屋上には観覧車が設置されています。駅ビルに観覧車が付いている駅って他に有るんでしょうか?この観覧車には対角線に2箱だけ…

人を持って城となす。

源頼朝から薩摩・大隈・日向3国の守護職を命じられ、現地に赴任した島津家ですが、来て見てビックリ!って感じだったでしょう。当時の薩摩。大隈は有力な豪族達(入来院氏・伊集院氏・蒲生氏・肝付氏等)が群雄割拠し、鎌倉幕府から任じられた新参者の島津氏…

旅行客の皆様へ、鹿児島市ベイエリアのご案内

個人旅行で鹿児島市に来られるなら、ドルフィンポートを中心とするベイエリアははずせません。ドルフィンポートとは錦江湾に面して建てられた2階建ての商業施設です。長さ100Mくらいでしょうか、飲食店や土産物屋が多数入っています。1、2階ともウッドデッ…

西郷隆盛と心中?

鹿児島銀行本店の裏になにやら石碑が建っている。読んでみると月照という僧の死に哀悼の意を表す物であった。月照は京都の僧侶で、僧の身分でありながら、熱心な尊皇攘夷派の人であった。公家関係に太いパイプを持ち、討幕を熱心に説いて廻っていた。同じ頃…

薩摩版一休さん。

皆さん方の中でも以前TVで放映されていた、一休さんを覚えておられる方も多いと思います。私もトンチの利いたエピソードに笑ったり、感心したものです。このようなトンチの利いた人の話が鹿児島にも伝えられています。大分には「キッチョムさん」熊本には…

路面電車のはしる町

路面電車がはしっている都市はいくつ残っているのでしょうか。 私が知っているのは熊本市、長崎市、広島市くらいですがまだ他にもいくつかあるはずです。鹿児島市の路面電車(市の交通局が運営)は鹿児島駅を始発として、天文館ー中央駅ー谷山終点と、同じく…

鹿児島市内でお土産買うなら?

鹿児島市にはデパートが1軒しか有りません。二〜三年前には三越が有りましたが、売り上げ不振の為、撤退されました。かりにも鹿児島市は人口60万人を超える県都です。なのにどうしてデパートが1軒しか無いのか、理由はその1軒というのが業界の巨人「山形屋」…

薩摩日光とは何のこと?

島津家の祖先は、朝廷の権力者藤原氏の有力な御家人近衛家に仕えていた、惟宗氏だとされています。鎌倉幕府の開府に伴い鎌倉に移り、忠康が近衛家の荘園、島津荘(今の都城付近)の荘官に命じられました。その子忠久が源頼朝より直接その地の地頭に任ぜられ…

わーれはうーみのこしーらなーみーのー

ほとんどの世代の方は小学校の頃、我は海の子という唱歌を習らわれたことと思います。この歌の歌詞は鹿児島市出身の児童文学者、宮原晃一郎(1882〜1945)が作詞されました。彼は鹿児島市内でも海に近い天保山(てんぽざん)の家で10歳までを過ごしました。…

鹿児島市内観光はシティビューが便利です。

篤姫、龍馬伝の放送で鹿児島に来られる観光客の方が増えている事を実感します。今秋に新幹線も全面開通しますのでツアーも結構ですが鹿児島の魅力を存分に味わっていただく為には、個人旅行をお勧めします。 鹿児島中央駅から、市営のシティビューという観光…

地鶏が名物なのは宮崎?それとも・・・・・・

東国原知事がさかんに宮崎名物のPRをされているので他県の皆様方は地鶏料理=宮崎と思われていらっしゃると思います。 宮崎市で小六から高校入学迄すごし、鹿児島へ帰ってきた者としては少々違和感をおぼえます。地鶏の炭火焼きなんてものは宮崎で見かけた…

鹿児島庶民のおやつ?

鹿児島伝統の菓子に「ふくれ菓子」があります。例えるならば「蒸しパン」のようなもので、大概の菓子屋さんが作っておられます。 同じ菓子でもかるかんや春駒は、手土産として買い求める事が多いのですが、「ふくれ菓子」は昔から庶民の茶菓子、おやつとして…

向田邦子さんがこよなく愛した鹿児島

七人の孫、だいこんの花、時間ですよ、寺内貫太郎一家と並べればきりが無いが、向田邦子さんが脚本を書かれたテレビドラマの一部です。 彼女は東京で生まれましたが、父親が保険会社に勤めていた為、少女時代に何回か転校しました。中でも10歳から12歳までの…

大警視 川路利明良

川路利良は鹿児島城下から12キロ程離れた皆吉村の郷士の家に生まれました。同じ郷士身分でも西郷、大久保らよりもっと貧しい最下級の士族でしたが、戊辰戦争での功績を西郷み認められ、維新後西郷自ら「おはんは、警察をしやんせ」と言われ、西洋の警察制度…

薩摩の生んだ名将、東郷平八郎

。 明治38年に起きた日本海海戦で当時最強といわれたロシアのバルチック艦隊を破り、世界に日本海軍の名を轟かせた、日本国連合艦隊司令官東郷平八郎も鹿児島市の加治屋町の生まれです。彼は15歳で薩英戦争に加わり、英国の海軍の力を目の当たりにしました。…

悲劇の僧 俊寛

先日、鹿児島市の繁華街にある御着屋(おつきや)交番の近くをあるいていたら、建物の間になにやら石碑と説明の看板があったので覗いて見ると、俊寛僧都 船出の地であることが書かれていました。 鹿児島市は、平地が少なく、江戸時代以前から海を埋め立てて…

大阪の商業発展の基礎を築いた薩摩人

鹿児島市内の泉町公園に銅像が一つ建っています。五代友厚という幕末に薩摩藩士族として市内の永田町に生まれた人物の像です。 以前は生誕地である永田町の陸橋の上に有りましたが、歩道も無い場所で、観光客もバスの車窓からチラ見しかできなかったので、今…