2010-08-01から1ヶ月間の記事一覧

降灰にはうんざりです。

このところ、毎日のように桜島の降灰でうんざりさせられます。爆発して真上に上がった噴煙は、風に乗って流れていくので、冬場は大隈」半島の垂水、福山方面に降り、夏は薩摩半島の鹿児島市を中心に降ります。 今日も朝、出勤しようと玄関をでたら、道路も車…

二度と市場には出ない、中国骨董品、高級中華家具のご案内!

今日はすみませんが、商売の件でPRさせていただきます。 古きよき時代に作られた、紫檀・黒檀の一枚板を惜しげもなく使い、熟練した職人が作った高級中華家具、書画、唐三彩や青磁、端渓の硯とあげていけばきりがありませんが、すべてが一点ものです。 私…

回転式そーめん流し機の生みの親

夏の風物詩、そうめん流し。皆さんのお住まいの近くにも有るのではないでしょうか。水流によって円形のプラスチック製容器の中を麺がグルグルt廻る機械を発明された方は、井上廣則という方で旧開聞町の助役をされておられた方で、その後、開聞町長を2期8年…

指宿からも特攻隊員たちは出撃してゆきました。沖縄の空へ。

指宿市の国民休暇村に隣接する松林の中に、海を望める小高い丘があり、階段を登りきると慰霊碑と観音菩薩像が建立されています。 太平洋戦争末期、昭和19年にこの地に海軍の基地が設けられ、終戦までの間に八十数名の若者達が特攻隊員として出撃して逝きまし…

指宿の道の駅

本日も指宿方面に行ってきました。朝6時ぐらいに出発しましたので、7時頃には指宿市内近くに着いてしまいまして、時間調節の為に道の駅によりました。 無論、店はまだ開いてなくて、自動販売機でコーヒーを買って、海を見ながら飲んでました。 以前書きまし…

太平の世でも決して鍛錬を忘れなかった薩摩武士。

鹿児島市内には「馬場」の付く地名が沢山あります。私の店が入っているビルの前のバス亭は「高見馬場(たかんばば)」ですし、他にも「堅馬場(たてばば)」「納屋馬場(なやんばば)」「館ん馬場(やかたんばば)」等があります。他には「騎射場(きしゃば…

日本一の大楠

鹿児島にもいくつかの「日本一」がありますが、その中の一つが姶良市蒲生町に有る、大楠です。推定樹齢1500年といわれ、側に立つとその圧倒的な大きさに畏怖さえおぼえます。 この巨木は、蒲生八幡神社の御神木として昔から崇められてきました。 蒲生八幡神…

今も残る、薩摩の武家屋敷。

鹿児島では、ほとんどの市町村に「麓(ふもと)」と呼ばれている集落が有ります。これは外城制度をしいていた薩摩藩が、郷士達の住む一帯をそのように呼んだ事に由来しています。しただいまして、今でも「麓」という地名が残っている場所には、例外なく武家…

鹿児島のホテルランキング

夏休みに入り、どこか旅行でもとお考えの皆さん。 鹿児島、宮崎へ是非おこしください。 口蹄役騒動も終息しましたので、地鶏、黒豚、黒毛和牛と、美味しい物が安心して食べれるようになりました。 鹿児島市内での宿泊は、豪華なホテルから割安なビジネスホテ…

天を敬い人を愛す。

西郷南州翁終焉の地のすぐ近くに、JRのトンネルが有ります。 そのトンネルの入り口上部の岩盤に、「敬天愛人」の文字が大きく刻まれて います。今ではこけの影響等で、ほとんど判別出来なくなっていますが、多分明治時代、西南戦争が終わってそれほど経た…

森有礼(もりあれい)の生誕地

森有礼は、1847年(弘化4年)鹿児島市長田町に生まれました。 1885年(明治18年)わが国、初の伊藤博文内閣成立の時、その国際的見識をかわれて文部大臣に就任したのが、森有礼です。彼はドイツの教育制度を参考に、小学校から帝国大学までの学校…

篤姫の父・今和泉島津忠剛(ただたけ)の墓地を訪れて

このところ、指宿へ行くことが多くなり、篤姫の実家、今和泉島津家の所領地であった地を通る機会が増えました。当主をはじめ、一族は鹿児島市内に居住していましたが、亡くなったら今泉の菩提寺に弔らわれるのが、習慣でした。 今日はその墓地を紹介します。…

鹿児島アリーナと山下洋輔さん。

鹿児島市の永吉町に、鹿児島アリーナという施設が有ります。 多分鹿児島県では一番多くの人間を入れる事ができるので、バレーボールや卓球等、スポーツの試合や、大物ミユージシャンのコンサートによく利用されています。この地は以前、鹿児島刑務所がありま…

河邊氏のお寺・宝光院跡を訪れて(南さつま市)

知覧と言えば、特攻記念館や武家屋敷などで有名な観光地ですが、遠い過去においても、いろんな歴史を秘めた町です。印象に残ったお寺がありましたのでご紹介します。 知覧の中心部から車で20分ほどのところに、川辺というところがあります。前は川辺町でし…