篤姫の父・今和泉島津忠剛(ただたけ)の墓地を訪れて

このところ、指宿へ行くことが多くなり、篤姫の実家、今和泉島津家の所領地であった地を通る機会が増えました。当主をはじめ、一族は鹿児島市内に居住していましたが、亡くなったら今泉の菩提寺に弔らわれるのが、習慣でした。 今日はその墓地を紹介します。
ここの墓地には、今和泉島津家初代から6代目までの、代々の当主や、その家族をあわせて、13人の墓があります。天璋院篤姫の実の父である島津忠剛や兄の忠冬も、この墓地に葬られていました。
今和泉島津氏は、薩摩藩の分家としても有力な家柄であり、幕末期において、重要な役割を果たしました。
以前ここに来て、分かったのですが、篤姫の父の忠剛は島津家からの養子として今和泉家に来た人だったんですねぇ。ですから、篤姫の養女話や久光からの養子も互いの家が、数ある島津の分家の中でも血縁的に近かったということだと思います。