向田邦子さんがこよなく愛した鹿児島

七人の孫だいこんの花、時間ですよ、寺内貫太郎一家と並べればきりが無いが、向田邦子さんが脚本を書かれたテレビドラマの一部です。
彼女は東京で生まれましたが、父親が保険会社に勤めていた為、少女時代に何回か転校しました。中でも10歳から12歳までの多感な時期を過ごした鹿児島市には「第二の故郷」と終生愛着を持っておられました。
父の詫び状、思いでトランプ、眠る盃などすぐれたエッセイも多数残されていますが、私はほとんど読んでいます。どのエッセイにも必ずといってよいほど鹿児島で過ごしたころのエピソードが出てきて、特別の思い入れがあったことが推察できます。またユーモアのセンスにもすぐれ、なかでも眠る盃のなかで「子どもの頃何気なく歌っていた歌の歌詞の勘違いに、ずいぶん大人になってから気づいて恥ずかしい思いをした事があるという下りには、笑ってしまいました。向田さんの場合は、「荒城の月」の歌詞の中で巡る盃というところをずっと眠る盃だと思っていて、大人になって何か偶然に歌詞を見て愕然としたということでした。巨人の星の主題歌で「おーもーいーこんだら」という歌詞に被せてコンクリートのローラーを引く画像が流れるので、大人になるまであのローラーのことを「コンダラ」という物だと思っていた人もいるようです。誰もが一つはこのような勘違いをした経験を持っておられるのではないでしょうか。鹿児島を愛した非凡な脚本家兼エッセイスト向田邦子さん。流星のように時代を駆け抜け、去ってゆかれました。昭和56年取材先の台湾で飛行機事故に巻き込まれ。享年51歳、速すぎる死でした。合掌。