大警視 川路利明良

川路利良は鹿児島城下から12キロ程離れた皆吉村の郷士の家に生まれました。同じ郷士身分でも西郷、大久保らよりもっと貧しい最下級の士族でしたが、戊辰戦争での功績を西郷み認められ、維新後西郷自ら「おはんは、警察をしやんせ」と言われ、西洋の警察制度を学ぶために渡欧しました。イギリス、ドイツ、フランスと視察し「日本にもっとも向いているのはフランスのポリス制度だ。」と結論し、帰国後は元士族を中心に警察組織を作り上げ、自ら初代大警視(今の警視総監)に就任しました。まさに日本警察の生みの親といえる人物です。
西郷が政府の要職を投げ捨て、鹿児島に帰った際も彼は東京に留まり、西南戦争が起きると抜刀隊を組織して官軍側に付き、西郷らと完全に敵対する立場になってしまいました。写真はかれの生誕地に建つ記念碑です。