琉球人松・142年の歴史

鹿児島市の集成館の近くに、夏場は海水浴場になる磯浜があります。近くに昔は、石燈籠に抱きつくように見事な枝を張った大松がありました。琉球からの船が入港する時に、目印にした松ということから「琉球人松」と呼ばれていました。松の上の丘は、桜の名所(多賀山)で、海上から桜を眺める遊覧船も多かったといいます。ところが、終戦後、松食い虫の被害にあい、この名物松を惜しむ人達が手を尽くして駆除に努めましたが、その甲斐なく枯れてしまいました。
そこで、1953年(昭和28年)10月2日、当時の市長、勝目清のノコ入れで切り倒され、翌年、数本の姫松が植えられました。その一本が現在、石燈籠の左手に根付いています。切り倒された、琉球人松の年輪を数えると142あったそうです。また、1973年(昭和48年)5月15日、沖縄復帰一周年を記念して、那覇市からリュウキュウマツの寄贈を受け、石燈籠の右手に植えられています。
こんなところにも薩摩の歴史が残っています。
松の育ちにくい、岸壁に力強く根を張った松は昭和28年で142年ですから、190年以上前に根付いた松ということになります。江戸から明治維新、太平洋戦争にも耐え抜いた松は、薩摩の激動の歴史を見てきたのでしょう。跡に植えられた姫松が、同じくらいの年月を刻んだ時日本は、地球はどんな世界になっている事でしょうか。