鎌倉時代の初め、源頼朝の命によってできた建久8年(1197年)薩摩国図田帳(土地台帳)によると、知覧院とよばれ、薩摩平氏の一族である、平忠益が郡司として治めており、地頭には島津氏初代・忠久が臨んでいました。その後、郡司・地頭の職務はそれぞ…
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