篠原国幹誕生地を訪れて

若くして、伊地知正治、重野安繹等と共に造士館に学び、和漢学を修めました。戊辰の役では、薩摩三番小隊長として活躍しました。明治5年陸軍少佐となりましたが、明治6年征韓論に破れた西郷に従い官職を辞し、桐野利秋等と帰鹿しました。私学校設立と同時にその監督となり、子弟の養成に励みました。庄内からの留学生を自宅に住ます等、情に厚い人でもありました。西南の役では、薩軍の一番大隊長として、田原坂の激戦を指揮しましたが、敵弾に倒れ、40歳の若い生涯をとじました。
昨日、お伝えした井上・村田との誕生地はすぐ50メートルくらいです。本当に近所です。もちろん、西郷・大久保・東郷の誕生地もすぐ近くです。びっくりするくらい近くの、一つの町の中から、たくさんの人が出ているのに再び驚きます。生誕地跡に今は県立高校が建っています。