村田新八誕生地を訪れて

幼少時代から西郷を兄のように敬い、つかえました。
明治4年、岩倉具視一行と外遊しましたが、明治7年、帰国してみると、征韓論に敗れた西郷および郷党は帰鹿していました。大久保に引き止められましたが、「西郷さんの意見も聞かねば」と振り切り、帰鹿し、その後、私学校で子弟の教育にあたりました。
西南の役では、薩摩の二番隊長として奮戦しましたが、城山最後の日、西郷の死を見届けてから自刃しました。
同じ、加治屋町に生まれた、井上は官軍側、村田は薩軍側と、幼いころから育った、幼馴染たちです。
大久保・西郷も加治屋町です。狭いこの街から、日本を変えた志士たちは、西南の役で、お互いの郷里、城山での戦いが最後となりました。何ともいえない気持ちでいっぱいです。