郷中教育が日本を拓いた

「議を言うな」・・・・薩摩の青少年の間では、暗黙のうちに、このような取り決めがなされていました。「つべこべ小賢しい理屈を言わず、先輩の言うことには従え。」ということです。藩政時代、薩摩では、城下の武家の居住地をいくつかの区域に分けその区域ごとに子弟の教育にあたりました。区域のひとつひとつを「方限」(ほうぎり)とか「郷」(ごう)と呼び、その教育機関として、郷の相中(あいなか)略して「郷中」、つまり現在の学区にあたる制度を設けたのでした。
郷中には、幼少の頃から、肉体的にも精神的にも徹底した鍛錬教育が行われ、特に上下関係は厳しくしつけられました。「議を言うな」「長老衆には従え」という暗黙の了解はそういう土壌で培われたと思われます。他には「弱いものをいじめるな。」「嘘をつくな」といった人間としてあたりまえな事を徹底的に教えられました。薩摩藩には、幕末33の郷中があり、中でも加治屋町郷中は、高麗・上之園・上荒田の三郷中と並んで、幕末から明治にかけて多くの逸材を生み出したことで有名です。
偉人傑士として、西郷隆盛大久保利通、西郷従導、大山巌村田新八東郷平八郎、黒木為腊(ためもと)他を輩出し、郷中教育が日本近代化への原動力となったことを如実に物語っています。