島津歳久の眠る心岳寺跡(しんがくじ)を訪ねて

滝水山心岳寺(ろすいさんしんがくじ)は、島津家15代、島津貴久の三男・歳久を弔うために、曹洞宗福昌寺の末寺として、慶長4(1599年)、兄の第16代島津義久によって、歳久が自害した場所に創建された由緒ある古刹ででした。境内には、歳久とその殉死者および歴代僧侶、その他の石塔があり、藩政時代の一部を残す貴重な史跡であります。
歳久は、天文6(1537年)7月10日、伊作亀丸城に誕生。祖父・忠良(日新)や父・貴久の養育を受けて成長し、長兄・義久、次兄・義弘、弟・家定とともに南九州統一と九州制覇に尽力しました。この間、吉田・祁答院を領し、和歌や茶の湯に親しむ文化人でもありましたが、豊臣秀吉の薩摩侵攻に際しては最後まで、抵抗したため、天正20(1592年)7月18日に自害するに至りました。
往時は「心岳寺詣り」と称する旧暦7月18日の祭礼には多くの参拝の人々でにぎわったのですが、明治2(1869年)に廃仏毀釈によって廃寺となり、翌年、平松神社が建立されて現在に至っています。
以前から近くを通るたびに気になっていたのですが、この様な歴史的にも貴重なものが残っていたとは知りませんでした。