来迎寺跡・墓塔群を訪れて

鹿児島市から国道3号線を北に進むと、市来というところがあります。
県指定文化財に指定されている、来迎寺跡墓塔群は、市来を古くから統治していた市来氏歴代の墓が建てられています。市来氏は惟宗姓(これむねせい)を持ち、後から地頭として赴任してきた、同じ姓を持つ島津氏と張り合い、時代によっては、敵となり、味方になって市来を統治し続けますが、ついに、1462年(寛政3年)市来久家・忠家親子の時、島津氏により滅ぼされました。
来迎寺跡・墓塔群は、藪の遺棄されていたものを積み重ねたものです。五輪塔や宝塔がほとんどで、中には坊主墓と呼ばれる無縫塔(むほうとう)も見受けられます。墓塔のほとんどが、小型で石材は、凝灰岩を使用しています。また、一つ離れた場所にある石塀で囲まれた層塔は、源頼朝の側室とも言われている島津初代忠久の母、丹後局」(たんごのつぼね)の墓であると、江戸時代に書かれた、三国名勝図柄に記載されています。
いやー、びっくりです。初代藩主の母「丹後局」がここに来てたとは、この、文化財はすごいな!と感じざるおえません。県内のいたる所にこんな遺跡が何気なく放置してある。薩摩という土地の特異性をあらためて感じました。