ヤジロウの記念碑を訪れて

今日は、ザビエルを薩摩へ案内した、ヤジロウ(一説にはアンジロウについて語らせていただきます。
ヤジロウは薩摩藩出身の人で、ポルトガル商人の案内でマラッカで、宣教中のフランシスコ・ザビエルと出会い、ザビエルに日本宣教を決意させます。インドのゴアで日本人として、最初にキリスト教の洗礼を受け、ザビエルを日本に案内しました。天保18年(1549年)8月15日、ヤジロウの導きで薩摩藩の城下、祇園ノ洲に上陸した後ザビエルはヤジロウの紹介で、領主・島津貴久と会見し、宣教の許可を受けました。半年程して、ザビエル一向が長崎、山口、京都と布教の旅に出た後もヤジロウは薩摩に留まり、500人近くの人々を改宗させました。しかしその後の足取りは今持ってよく解っていません。ザビエルと共に日本を離れたのか、薩摩藩を出て、国内で亡くなったのか今となっては、調べようもありませんが、ここが墓所であるという伝説もあります。
何はともあれ、ヤジロウはこの時代に異国を経験したごく少ない日本人であった事には変わりません。西洋の大型船が出入りし、色んな国からの人々で賑わうマレーやインドを彼の目はどうとらえていたのでしょう。