篤姫の育った今和泉家本家跡の石垣

篤姫は、天保6年(1835年)薩摩藩・島津家の分家である今和泉島津家10代忠剛の娘・一子(かつこ)として、鹿児島城下に生まれました。1853年、島津家28代藩主・島津斉彬の実子として島津本家に迎えられます。名は篤姫と改められ安政3年(1856年)第13代将軍・家定の御台所となりますが、安政5年(1858年)夫・家定が死去し、篤姫は落飾して天瞕院と号するようになります。その後、世の流れは大きく倒幕へと傾き、討幕軍の先頭に立っていたのは、実家・薩摩藩でありましたが、篤姫は最後まで、江戸城に収まり、徳川家の存続や江戸城無血開城に大きな役割を果たし、明治16年(1883年)に亡くなりました。
篤姫は、鹿児島城(鶴丸城)の北東に位置する、ここ今和泉家島津本邸で生まれ育っています。現在、屋敷自体は残っていませんが、当時の家格をしのばせる高い石垣が残っています。石垣から5分のところに、南州墓地もあります。