幻の宰相?

町村合併により旧伊集院町は、隣接していた日吉町、吹上町と共に日置市となりました。これまで県外の観光客の方々にはほとんど縁の無い町でしたが、幕末から明治維新辺りの歴史に日が当たり、この地にも次第に目が向けられるようになってきました。
伊集院町の商店街から歩いていける所に有馬新七の墓があります。
伊集院郷士の子として生まれ、長じては京都において西郷、大久保らと討幕活動に大きな働きをしました。しかし志し半ばで、1862年に京都の寺田屋でその生涯を閉じてしまいました。ツィッター仲間に教えてもらいましたが、京都の伏見大黒寺に埋葬されて墓も有るそうですが、伊集院の墓は通称「陰墓」といって、親族や国許のの仲間達が偲んで建てた墓です。
もう一人は篤姫をご覧になられた方ならご存知の「小松帯刀」の墓です。言うまでも無く喜入の肝付家(こちらも歴史ある名家です)より養子として小松家に入った人ですが、その小松家の領地が旧日吉町の吉利にあり、菩提寺だった園林寺跡に歴代当主の墓が並んでいます。
帯刀が29代当主だったということは家格の高さを知らされます。
激動の時代の彼の働きはいまさら言うこともないですが、明治3年に36歳の若さで病に倒れた事は、共に維新を戦いぬいた仲間達から非常に惜しまれました。彼がもう少し永く生きていたら、間違いなく新政府の指導者になっていたでしょう。ひょっとしたら西南戦争も起こらず、西郷どんも城山で死ぬこともなかったかもしれませんね。