示現流という薩摩独特の剣法その2

皆さん、テレビや映画で時代劇を見たことがあると思いますが、そのなかで武士同士が剣をもって戦うシーン(俗にいうチャンバラ)が必ずでてくると思いますが、現実的にはああいう戦いは江戸期以降ほとんど皆無だったでしょう。太平の世が長らく続き、剣法の流派は数え切れぬ程出来ましたが、その教えも次第に舞踊のように型の美しさを追及するように変化してゆきました。ましてや道場では防具を身にまとい竹刀での立会いなので、死の危険とは全く無縁であり生涯一度も真剣での立会いを経験する事無く生涯を終える者がほとんどでした。
何かの拍子にお互い引っ込みがつかなくなり、いざ決闘となっても双方真剣を構えたまま油汗をしたたらせながら一歩も動けず、それが数時間にも及ぶことがざらでした。
示現流の教えは極めて単純です。「斬りあいになったら相手より一瞬でも速く、渾身の力を持って頭を叩き割れ」という教えがすべてと言ってよいでしょう。
したがって示現流には相手の攻撃に対する防御のしかたや、最初の一撃が外れた際の教えはありません。相手より太刀筋が速ければ、防御など必要ない。最初の一撃が外れたたら自分の力不足だから、相手に斬られても仕方ない。という凄まじい教えです。
島津家は国持ち大名としては類を見ないほど古く、今から800年前に鎌倉幕府の時代、源頼朝から直接薩摩・大隈・日向の地頭職を命じられ、入国しました。しかしその時代の九州南部は無数と言ってよいほどの地方豪族が居りそれらと戦いながら平定し、ようやく薩摩・大隈・日向の3国を手中に出来たのは16第藩主島津義久の時代でした。まさに戦につぐ戦を重ねてきたために、実戦にそくしたこのような流派が生まれたのでしょう。