いも侍と呼ばれた薩摩武士。

以前読んだ本に書かれていたことですが、幕末に京都で討幕活動をしていた諸々の藩の藩士達のなかで、薩摩人と土佐人は見かけだけで判別できたそうです。まぁ両藩とも服装や髷の形(月代の剃り方)等が時代遅れでダサイと見られていたそうです。
先日観た映画「半次郎」でも、戦争のシーンなどで薩摩軍の武士は、殆どが「朱鞘」と呼ばれる、鞘が赤く漆で塗られた刀を使っていました。
江戸も末期になると、武士も身なりを飾るようになり、朱鞘の刀などを差す者は、田舎者として失笑されたそうです。
しかし、薩摩、土佐の両藩は「武士が身につける物に気をつけるのは、恥ずべきことだ。」という教えが生きていたのでしょう。
そんなところにも、明治維新をやり遂げた原動力の一部があったのかも知れませんね。