おかしむぜ?

鹿児島市内にお堀と石垣が、かつての名残をとどめる鶴丸城跡、石垣の中には県立の博物館である黎明館、県立図書館、市立美術館等が建っています。
その市立美術館の敷地正面入り口(国道に面した方です。)を入り、左に行くと木々が生い茂る涼やかな一角があり、よく見るとに人の顔が描かれた石があります。
これは島津家16代当主、義久の三女で18代当主家久に嫁いだ亀寿様を偲んで作られたモニュメント的な物です。16代義久と18代家久は異母兄弟になります。ちなみに関ヶ原の戦いに参戦した17代当主義弘も義久、家久と異母兄弟にあたります。
亀寿様はのちに持明院(じみょういん)という法名を名乗り、それが薩摩言葉でなまって「じめさぁ」と呼ばれるようになりました。伝聞として伝わっているのは、器量には恵まれなかったが、慈愛の心をもったすばらしい方であった。ということです。
命日の10月5日には、毎年選ばれた市役所の2名の女性職員の手でお化粧することが習わしになっています。
薩摩弁で器量のいい女性を「よかおごじょ」と呼ぶことはよく知られていますが、「おかしむぜ」という言葉はどうでしょう。それほど美人ではないが、愛嬌のある女性の事をこう呼びます。どちらかといえば褒め言葉で、結婚するならよかおごじょよりおかしむぜをもろやんせ、と。「じめさぁ」もきっとそんなおかしむぜな方だったのでしょう。