日経新聞を読んで2

ビョウー・ビョウーと風の音とともに、よこなぐりの激しい雨が窓を叩きつけている。ここは紀伊大島の樫野崎灯台。燈台守はさっきから、何か言い知れぬ不吉なものを感じていた。
灯台の下は岩礁が広がり、はるか沖合いまで遠浅の海岸線が続いている。「こんな嵐の夜に航行している船などあるまいが、何事も起こらなければいいが・・・・」そう思いながら漆黒の闇に包まれた海の方角を見つめていた。時は1890年9月16日の夜半の事である。
しばらくして強風の音に混じって数回の爆発音らしき音が聞こえた。
「何かが爆発したような音のようだが。」燈台守は気になりながらも、夜が明けてから調べに行く事に決めた。
それからほどなくして、灯台のドアを激しく叩く音を聞き、灯台守がドアを開けると、裸同然の体に焼け焦げた衣服の残骸をまとわりつかせた外国人が1名立っていた。言葉は通じなかったが、身振りで彼らの船が
灯台下の岩場に座礁し、助けを求めに40mもの崖を這い上がってきた事が分かった。「まだ生き残った人がいるかもしれない」灯台守はとりあえずその外国人に毛布を与えると、暴風雨の中を一番近い樫野集落まで応援を頼みに走った。樫野は50名ほどの住民しか居ない小さな漁村である。燈台守の報告を受けて、夜中にもかかわらずほとんどの住人が現場へと走った。暗闇のなかで、うめき声を頼りに何人もの傷ついた外国人を救助し、村まで運んだ。そのうちに白々と夜が明けてきた海岸で村人達が目にしたのは、想像を絶する光景だった。
岩場に座礁後、爆発炎上したらしい大きな船の黒焦げの残骸が無数の破片として散らばり、海上や浜辺には何百という外国人の遺体が広がっていた。「まだ生きている者がいるかもしれない」村人達は不眠不休で目に見える全部の遺体とともに僅かに息のある者も収容し、寺と学校に運び入れた。僅かでも息のある者には、裸になり自分の体温で温める事までしたという。結果69人の命が救われたという。