薩摩義士顕彰会

先日、ツイッターを通じてご縁のできた方からの情報ですが、今月(5月)25日に鹿児島市の薩摩義士顕彰碑の前で、毎年恒例の慰霊祭が執り行われるそうです。毎年この日は地元鹿児島の顕彰会の方々はもちろん、遠く岐阜県大垣市を中心とする治水工事によって恩恵をうけた土地から商工会や行政の代表の面々も参加されます。
二百数十年も前、しかも幕府の命令により行われた治水工事なのに、彼の地の人々は代々薩摩に対する感謝の気持ちを忘れていない。
この時幕府から下ったお手伝い普請は、露骨な薩摩いじめである。
それでも拒めば薩摩藩は無くなる。悲壮な覚悟で総奉行平田靭負と約1.000名の藩士は旅立った。劣悪な環境、幕府から派遣された監督者からのいじめ等、工事の完成までに切腹して果てた者51人。栄養失調等で病死したもの33名の犠牲者をだした。総奉行平田靭負は工事の完成を見届け藩主への報告書を書き上げると切腹して果てた。
現地では治水神社を作り、遠く薩摩の国より来たりて故郷に帰る事が叶わなかった薩摩藩士達の御霊を守り続けておられます。現地には完成を祝って薩摩の国から取り寄せ植えた松が青々と茂る堤防が残されており千本松原と呼ばれているそうです。