薩摩焼の故郷

鹿児島市から国道3号線を北上する事約20㌔、日置市東市来町に美山(みやま)という集落があります。
天下人となった豊臣秀吉が、諸大名を引き連れ朝鮮に出兵した慶長の役薩摩藩からは第17代藩主、島津義弘公が参加しました。
義弘公は朝鮮から帰国する時、朝鮮人の陶工(約80名)を連れて帰りました。1603年に今の美山に移住させ、藩主一族が使用する白薩摩、庶民か使用する黒じょかに代表される黒薩摩の製作にあたらせました。
無理やり連れてきたのですが、決して隷属的な扱いをせず、士分として苗字帯刀の身分を与え、代々丁重に扱ったといわれています。
現在でも美山には12軒の窯元が集中しており展示即売しておりますが、毎年11月上旬に開催される「美山窯元祭り」の時には多くの人が訪れ、にぎわいます。12軒の窯元の中でも一番有名なのは沈壽官釜でしょう。
代々美山の朝鮮人陶工のリーダーをされてきた家系で、世襲したら沈壽官を名乗るのが習わしです。現在の沈壽官さんは15代目です。
有田焼の柿右衛門のような存在で、一子相伝で伝えられてきた技法は他の追随を許さぬほど突出しており、価格も数十万、数百万の世界ですが、作品を見れば納得されるとおもいます。